Greeneyed monster‏‏‏‏

ライブハウスの入口は大抵が見つけにくい所にある。

初めて訪れるそこは小さな楽器店の下にあった。風でべこべこと音を立てて揺れるシャッターの前の路面には、『AntiRock』と書かれた膝下くらいの高さの黒い立て看板が置いてある。俺は眼鏡のブリッジを押し上げて探していたライブハウスの名が印字された不安定な看板と、シャッターとを見比べた。
その店と隣のビルとの間のわずかな隙間に、勝手口のような扉がある。やや剥がれかけた黒いペンキのドアを開けると、地下へ続く階段があった。同時にドラムの振動が溢れ出す。どうやらここで間違いないようだ。

ここのように楽器屋の地下にある店はまだわかりやすい方で、昔一度だけ訪れたライブハウスはたしか小奇麗なアパートの地下にあった。当然看板も出ておらず、駐輪場の奥に入口への階段が隠されていた。その場所を知っている友人に連れられて来なければ、絶対に辿りつけなかっただろう。
その秘密の地下室で聞いたバラードはやけに甘かったのを覚えている。


薄汚れた階段の所々にはおよそ一般的とは言い難い髪型の若者達が座り込み、それぞれが煙草をふかしたり顔を寄せ合って話し込んだりしている。いくら入口がわかりやすくても、やはり知っていなければ足を踏み入れづらい場所ではある。少なくとも通りすがりにふらりと入るような所ではない。もっとも髪型に関しては俺も決して堅気には見えないから同類だが。
階下の受付らしきカウンターで目の縁を黒く塗りたくった女性にチケットを手渡す。厚く重ねられた化粧で実際の年齢は読めなかったが、少なくともジャンよりは年下だろう。まだ少女と呼んでも差し支えないくらいだ。
彼女は俺にドリンクチケットを差し出しながら黒目ばかりの瞳をくるりと動かして猫のように笑った。

防音扉の向こうは懐かしい喧騒に満ちていた。
あまり広いとは言い難いフロアにはいくつもの人影がまばらに立ち並び、自由なリズムで身体を揺らしている。客の入りは上々だ。薄暗い中、そこかしこで交わされる囁きはエレキの爆音にかき消され、無音のホワイトノイズとなって微笑だけを空気に散らせる。
ステージとオーディエンスが一体となるようなライブはもちろん良いが、ここのような退廃的な夜も嫌いじゃない。
今日はいくつかのバンドが合同で行う対バン形式のライブで、既に何組かのバンドが演奏を終えていた。しかし目的のバンドはラストだと聞いていたので慌てる事はない。
隅にあるバーカウンターにドリンクチケットを示してバドワイザーを注文した。
少し温いビールが注がれた紙コップを片手に一番後ろの壁の空いている所に凭れる。ポケットから少しひしゃげた煙草のパッケージを取り出すと、ごく自然に隣にいた見知らぬ男が火を差し出してくれた。礼を言うと、男はおどけたウィンクをこちらへ寄越し、何事もなかったように自分の煙草にも火を点けた。俺もそれに倣って泰然と煙を吐き出す。
ライブハウスが禁煙になったらロック業界も終わりだ。

吐息よりも早く空気に溶け込んで消えた紫煙の向こう、少し離れた先にひと際目立つ男がいた。

その見慣れた赤毛は周囲から頭一つ飛び出ていたが、目立つ理由は背の高さだけじゃない。何気ない動作の一つ一つがとても目を惹く。
まるで見られる事を前提として造られたかのような存在だ。
それは例えば整った顔それ自体よりも頬の片側だけを歪める傲慢な笑みの方がセクシーだったり、厚い唇が開閉される度にここからでは聞こえないはずの低い囁きを夢想してしまったりするような、そんな魅力。

今日のライブはルキーノに誘われたものだった。現地集合を承諾したのは薄暗いライブハウスの中であろうがルキーノならば苦労せずに探し出せるだろうと思っていたからだ。結果はご覧の通り。
しかし、ステージに向かって左側の壁沿いにいるルキーノにすぐに声を掛けに行くのは止めた。

隣に女がいたからだ。

はっきりとは見えないがおそらく美人だろう。明るめの髪色のショートカットは顔の造作とサイズにそれなりの自信がなければ選べないヘアスタイルだ。華奢な肩なのにそこから続くボディラインは曲線がはっきりしている。
肌を過剰に露出する服装をした彼女を観察しながら、どうもルキーノとは女の好みは合わないな、と思った。俺はどちらかというと清楚なタイプの方が良い。
積極的に自分をアピールする姿勢は百歩譲って評価しなくもないが、その方法にボディタッチを選択する女性はあまり感心しない。媚びるように、エナメルでカラーリングした長い爪の手がずっとルキーノの腕に触れているのに、あからさまな打算が読み取れた。
あいつなら、レディのそんな見え透いた計算にも、そこが可愛いんじゃないか、とでも言いそうだが。
時折少し身を屈めて耳打ちするように何かを囁くルキーノの横顔を、彼女は一時も目を逸らさずに見つめている。真剣に耳を傾けている事を主張するように何度も頷きながら。しかし、ライブに来ているのに隣の男ばかり見つめてステージをちっとも見ないというのはどうだろうか。一体何をしに来たのだ。
そんな事を考えていたら、突然周囲からまばらな拍手と歓声が上がった。どうやらさっきの曲が現在演奏していたバンドのラストソングだったらしい。別の事に気を取られていてほとんど耳を素通りしていた。俺も人の事は言えないな、と苦笑して近くにあった灰皿へ、ここに着いてから三本目の煙草をねじ込んだ。

女の好みの相違ではなく、単にルキーノの気に入る女性が俺は気に喰わないのだ。
つまるところ、ただの嫉妬である。いい歳をして馬鹿みたいだが。

先程のバンドが舞台裏へ消え、次のバンドの準備ができるまでしばらくの間、店内の照明が明るくなる。蛍光灯に照らされたフロアで再びルキーノの方に視線をやると、ルキーノはまだ同じ場所にいて同じ女性と話している。
光の下で見ると隣の彼女は思っていたよりもずっと美人だった。



次が今宵ラストのバンドだ。最前列の人間が入れ替わり、今のうちにと外へ抜け出す者や反対に戻ってくる者で騒然としている。
俺は今の立ち位置を変更する気は毛頭なかったので動く人波を見物しながら四本目の煙草を取り出した。
すると、その流れを掻き分けて一人の男が近づいてきた。若い男だ。年はジャンと同じくらい、いや、もう少し下だろうか。若者の年齢を推測するのは難しくて、ついジャンと比較してしまう癖が抜けない。
脱色された長めの髪は傷みが激しく、唇にはピアスが3ツほど刺さっている。彼は俺の前にぬっと立って、厳めしい体つきの割には震えた声で、すみません、と声を掛けてきた。

「あの!CR-5のベルナルド!……さん、ですよね?」

ファンなんです!いつも聴いてます!と言ってメタルの指輪がいくつも嵌ったごつい手を差し出してきた。
意を決して話しかけてきた様子の青年に、俺はいつになくにこやかに微笑み返して握手に応じた。
しかし内心は、握手どころか思いっきりハグしてやりたい気持ちでいっぱいだった。



ああ、俺は君のような子が大好きだよ。そう、俺の名前の前には必ず「CR-5の」をつけてくれ。うちのバンドは良いだろう?俺の最高傑作さ。



そう心の中で高らかに叫びながら。
もちろん、現実では努めて冷静に、

「ありがとう。覚えていてくれて光栄だよ」

とだけ言った。それだけだったのに彼は感極まったのか俺の右手を両手で握りしめてくる。この程度の受け答えで感動してくれるとは、そんなに俺はとっつきにくいイメージなのか。
大きな手は見た目と違わない硬さだった。関節の太いこの手はきっとギターを弾く同志の手だ。
彼は、またライブ行きますから!と意気込んで言うと、ステージ寄りに固まっている人の群れの方へと駆け出した。人工色の髪はすぐに見えなくなる。
せっかくだからもっと話していけば良いのにと思ったが、声を掛けるだけでも精一杯な感じもした。そこまで憧れてもらえるとは、ギタリスト冥利に尽きるというものだ。
密かに笑いをかみ殺していると、ぐいっと腕を乱暴に掴まれた。

「コラ、浮気者。何を野郎にナンパされてやがる」

服の上から肘のあたりを掴む手の力強さ、食い込む指が触れる感触、それらすべてを肌が鮮明に覚えている。
振り返ると不機嫌そうな顔をしたルキーノが、一人で立っていた。

「ルキーノ。よく俺がここにいるってわかったな」
「お前は目立つからな」

お前ほどじゃない、と喉元まで出かかったのを何とか飲み込んだ。それを言ってしまったら俺の方が先にルキーノの姿を見つけていたとばれてしまう。
俺は曖昧な笑みを浮かべて自分に対する不適切な表現は聞き流すという対策を取る事にした。

「ナンパじゃないさ。うちのバンドのファンだって言ってくれてね」
「それで?お友達になって下さいって言われたか?まさか連絡先なんぞ教えてないだろうな」
「まさか。ちょっと話しただけで名前も聞いてない。ああ、俺の方から電話番号でも聞けばよかったかな」
「ふざけるな。なんだってお前は無駄に男にモテるんだ。まったく油断がならん」
「冗談だよ。それにしても酷い言いがかりだな」

さっきのは別にモテているとは言わないだろう。第一、うちの女性ファンの大半はルキーノかジュリオが持っていくのだから仕方ないじゃないか。
だがルキーノは納得しなかったらしく、軽く舌打ちして掴んでいた手を離して代わりに俺の腰に腕を回して引き寄せた。横から抱き込まれるような格好で俺の半身はルキーノの体温にぴったりとくっつく。

「、おい……!」

こんなところで、と抗議する前に計ったように天井の照明がフェードアウトした。
周りを見渡すといつの間にかフロアは最前から後ろの方まで人がひしめき合っていて、先程とは比べものにならないほどの人口密度だ。群衆の熱気はステージへと向けられている。目当てのバンドは皆同じだったらしい。
これならば後ろの壁の、それも端の方で密かに抱き合う男二人など誰の目にも留まる事はないだろう。
赤いスポットライトが点灯し歓声が上がるのと、ルキーノの唇がこめかみを掠めるのとは同時だった。触れるか触れないかの位置で髪にキスをした唇は耳元で低く囁く。

「あんなキレイな笑顔で他の男の手なんて握り返すな。妬けるだろーが」






…………まったく。
これだからルキーノはずるいのだ。
嫉妬なんて子供っぽい感情で、こんなにも簡単に俺を縛る事ができるのか。
恋は先に好きと言った方が負けだなんて、誰が吐いた嘘だろう。

俺は笑って、ルキーノの少し乾いた唇に自分の唇を一瞬だけ重ね合わせる。



お前のキスなら、唇に欲しい。

「馬鹿な事を言う」

そう言いながら俺は、お返しとしてはどのタイミングでさっきの美人との事を言及してやるのが一番効果的だろうかと考えてまた笑った。


ステージの上では黒髪のヴォーカルが甘ったるい声でLove meと繰り返していた。


previous story
Next story
戻る