この遊びを恋と笑って‏‏‏

「たとえ生まれ変わるとしても、俺はもう一度俺に生まれたい」


俺がそう言い切ると、目の前の男は疲れたように笑った。


「ルキーノらしいな。俺にはとても真似できないよ」


頬杖をついたベルナルドはがっかりしたように指の隙間から溜息をついた。

俺がらしくない事を言ったらそれはそれで落胆するくせに、自分勝手な男だ。
だがそれも今に始まった事ではない。基本的にベルナルドはワガママなのだ。八方美人で外面だけはいいから他の奴らには上手く取り繕えているようで、気付いている人間は少ないが。

そして、それを知っている数少ない人間は大抵がコイツを積極的に甘やかす傾向にあるので、結果その悪癖が改善される兆しは一切見られない。
ああ、もちろん俺もそのうちの一人だ。



業務連絡以外でベルナルドが俺に電話をしてくる事はほとんどない。今日も俺から電話をした。
出不精で引きこもり体質のベルナルドに会いたいと思ったら住み処に直接押し掛けるか、本人を外へ呼び出すしかない。
そういう時俺は必ず後者を選ぶ。いきなり電話を掛けて、「いいから来い」と言えるのは俺だけの特権だと思っているし、何よりベルナルドの住むアパート、あそこは駄目だ。
一度だけ部屋の中に入った事がある。
そこは完全にベルナルドという一つの存在だけで完結した世界だった。ベルナルドの好きなもの、大切なものだけを集めて一つ一つに愛情を込めて並べた小さな箱庭。奇麗だが閉じられた空間。居心地が良いのも当然だろう。
否定はしないが、俺の立ち入る領域ではないし入りたいとも思わない。

俺はベルナルドの大事な物になりたいのではない。俺がベルナルドを大事にしたいのだ。

それに、呼び出されればわりとほいほい出ては来るが、逆に言えば呼び出さなかったら外になんて出るきっかけもないわけで、コイツはいつまで引きこもる事になるやら。そのうち腐る、を通り越して化石になってしまいそうだ。
プランターの草木と一緒でたまには外に出して新鮮な空気に当ててやる必要がある。植物と違うのは、それが夜でも構わないところだ。

俺が指定した地下のバーに現れたベルナルドは俺が既に座っているテーブル席の、向かいではなく隣の椅子に腰を下ろした。
そして言った言葉が、


「自分以外の誰かになりたい」


である。そう思った事はないか?と訊かれたので、ないと即答した。



そして話は冒頭の会話に戻る。

溜息をついた後ベルナルドは俯いて気だるげな仕草で煙草を取り出した。すかさずジッポで火を点けてやる。普段はめったにそんな事などしない俺を、眼鏡のレンズ越しの上目遣いが何事かと窺ってくる。俺は少し笑って、で?と話の続きを促した。

下を向いたって俺の目はごまかせない。キレイな顔の上に大きく書いてあるんだよ、構ってくれ、って。


「まったく新しい曲を書こうと思ったんだ。今まで使った事のない斬新なフレーズをたくさん盛り込んで。出来上がって試しに弾いてみたら、やっぱりいつもの俺の音だった。もちろん、まったく違う新しい曲ではあるんだよ。でも音はいつもと同じだ」
「……よくわからんが、それのどこが悪いんだ?」
「愕然としたよ。俺は結局昔から、1ミリも変わっていないのさ。そう気付いたら過去の自分の馬鹿な行為のせいで傷つけた人達と失った人達の記憶が次々と蘇ってきて」
「お前が馬鹿なのとお前の音は無関係だろ」
「酷い言い草だな。その通りなんだけどね」


ベルナルドが苦笑したのと同時に店内の照明が1トーン暗くなった。
フロアの一番奥に一段高く設えられたステージで今から生演奏が始まるのだろう。ここは知り合いの経営する店で、落ち着いた雰囲気とジャズの生バンドが売りである。

俺の持っている店はバーにしてももう少し賑やかな感じの所ばかりなのでベルナルドとの待ち合わせには向かない。俺のようなイイ男が野郎と二人で飲んでたりなんかしたら確実に積極的な女性に声を掛けられてしまう。美しいレディを、お呼びでないと袖にするのはあまり趣味じゃない。
その点ここはそういった心配は必要ない。ムードのある薄闇で愛を囁き合うのを目的にしたカップルもいるが、一人で訪れる者も多い。彼らは皆、椅子に深く腰掛けてジャズのスウィングに揺られながら己の過去と対話している。
そんな夜にはビールなんて邪道。オンザロックがお似合いだ。

ステージの上がスポットライトで明るくなり金管楽器に反射する。スローテンポのメロディが穏やかに滑り出した。



そういえば。
最初にベルナルドを見たのはステージの上だった。たしか友人に、ちょっと上手いヤツがいるから、と何組かのバンドが共演するライブに連れていかれたのだ。


そのバンドはスリーピースなのにベースとギター&ヴォーカルの二人組で、ドラムは常にサポートメンバーという変わったバンドだった。曲はどちらかと言うとジャズに近かったが、一応ロックバンドだ。
ベースはやたらと背の高い男で、地味な格好に変な丸いサングラスをかけた気味の悪い奴だった。背中を丸めて妙な薄笑いを絶やさずに黙々とベースを弾いていた。

友人が言う「ちょっと上手いヤツ」とはベルナルドの事だった。ギターに関してはちょっとどころではなかったのだが、その時の俺の印象に強く残ったのは歌声の方だった。

旋律のリフレインを邪魔しないよう心地よく響くハスキーな声。それからふいに上がる、断末魔の悲鳴にも似た扇情的な吐息混じりのファルセット。
正直、腰にキた。

ギターを弾きながらスタンドマイクに向かって淡々と歌うベルナルドの評価は、ギターは上手いけれど歌に華がない、というものが大半だった。俺は心の中でそいつらを嗤った。

どこに耳つけていやがる。あんな心臓を引っ掻くような切ない声、どんな美女とベッドインしたってそうそう聞けない。

しかし彼らのバンドが地味なのも確かで、技術の割にはあまり有名ではなかった。

しばらくして彼らが解散したと聞いたのもやはり友人からだった。理由は定かではないが、友人が聞いたところによると二つ説があって、一つは単純にいわゆる音楽性の違い。もう一つは実はあの二人はデキていて、それが破局したからバンドも解散したというもの。
普通に考えれば前者だ。だが今なら後者もありえるのではないかと思う。

ベルナルドは無駄に男にモテる。おそらく男の嗜虐心を刺激し、かつ征服欲を満足させるような何かがベルナルドにはあるのではないかと推測する。これはモテてているとは言わないかもしれないが。


それはともかく、実際はどういう理由だったのか、未だに本人には聞いていない。なんとなく面白くない話が出てきそうな予感がするからだ。別にあの男とどうであろうと今更驚きはしないが、それと俺の嫉妬心は別物なんだよ。
ただ、もう歌わないのか、と聞いた事はある。ベルナルドの歌ではウチの今のスタイルとは合わないが、あの声は少しだけ惜しい気もしたからだ。ベルナルドは、最上の理想を見つけたから良いんだ、と答えた。その返答には俺も納得した。あの金髪は確かに最上だ。



店内に流れる曲はギターがメインのメロウなものに変わっている。いつかどこかで聞いたようで、でも思い出せない懐かしい曲。

ふと隣を見るとベルナルドも懐かしむような目でステージの方を見つめていた。
ベルナルドはどうやらこの曲を知っているらしい。テーブルの上に乗せられたベルナルドの左手はコード進行を辿って小刻みに動いている。そしてウィスキーで濡れた唇は薄く開かれていて、僅かに開閉を繰り返す。どうやら小さく、本当にかすかに口ずさんでいるらしい。きっと無意識に。

俺はゆっくりと椅子の背もたれに体重を預けてさり気無く口元を手の甲で覆って、ベルナルドに悟られないように笑いを堪えた。


自分以外の誰かになりたい、だって?どの口がそれを言うか。どうしたって音楽を捨てられやしないくせに。それができない限りベルナルドはどこまでいってもベルナルドのままなのだ。
馬鹿な事ばかりを言う可愛い唇をキスで塞いでやりたくなったが、せっかく機嫌良く歌っているのだからやめておいてやろう。今は、だけどな。



その一曲が終わり、次の曲が始まるまでの少しの間、静かなノイズが空気中に充満する。
テーブルの上のグラスに手を伸ばしたベルナルドは、そこで初めてステージではなく自分を見つめている俺に気付いて、無言で軽く目を泳がせる。
俺はテーブルに肘をついて動揺を隠し切れていないベルナルドの顔を下から覗きこみ、口の端を広げてにやりと笑って見せた。
お前、俺のこの表情好きだろ。知ってるんだよ。


「さっきの話だけどな、もし今の『ベルナルド』を捨てるとして、お前は誰になるんだ?」


囁いて、ベルナルドの頬に被さる横髪を指ですくい取って耳に掛ける。ついでに、無防備に姿を現した耳朶を指先で擽ると、一瞬ぴくりと肩が跳ねる。
ベルナルドは困った顔をするか迷惑そうな顔をするか決めかねている様子だったが、結局長い睫毛に覆われて重そうな目蓋を頼りなく伏せて、はにかむように微笑った。自分が甘やかされている事がようやくわかったらしい。


ベルナルドの左手が、ついさっきまでテーブルの上で幻の弦を押さえていた指が、俺の手に触れる。


「そうだね、例えば次に生まれ変わるとしたら、お前のギターになりたいな」


何だそりゃ、と笑って俺は重ねられたベルナルドの手に自分の指を絡めて握った。
指先は平たく硬く、関節の浮き出た、ごつごつしたベルナルドの手。骨ばかり目立って柔らかくもない男の手だが、こんなにも欲情させられる手も他にはない。



馬鹿だな、ベルナルド。それじゃあ、今と何も変わらないじゃないか。
俺に惚れられて俺のものになって。
俺の手で愛撫されて感じるままに鳴くそのギターからは、やっぱりベルナルドの音がするのだろう。


仕方ない。このワガママで可愛い馬鹿な男を来世もまた愛してやるか。
俺がお前をちゃんと買ってやるから、だからそれまで楽器屋のショーウィンドーに良い子で並べられてろよ?






フロアの照明が再び明るくなるまで、俺達はテーブルの下でずっと手を握り合っていた。


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