都会の片隅にある地下のライブハウスは今宵、ほぼ満員だった。
本日演奏予定のバンドはインディーズながらワンマンライブを黒字で行える程度には人気のあるロックバンドだ。客の7、8割は固定の女性ファンだが、中には自称音にうるさい音楽人もそれなりに混じっている。
バンドの名前は、CR-5。
彼らのモットーは、「音楽は遊び。だから最高に楽しめるものを」である。
「さあ、そろそろ時間だ。準備はいいかい?」
ぱん、と手を叩いた俺の声に真っ先に反応したのは、ちょうどジュリオのスーツのボタンをすべて留め終わったばかりのジャンだった。ジャンはジュリオの背後に回って、今自分で着せたばかりのスーツの肩に顎を乗せ、吊りがちな目を細めて笑った。
「おう、バッチリだぜ。どーよ、ベルナルド?ウチの王子様の出来栄えは?」
「ああ、最高にクールだね。もちろんジャンも、よく似合っているよ」
「あの、ジャンさん、ありがとうございます。俺、こういうの着るの苦手で……」
はにかんで微笑むジュリオは確かに、一部のファンの女の子達がつけた「王子様」というニックネームがふさわしい。けれど、二十歳を過ぎた男がスーツも一人で着られないというのはどうか。
いや、さすがにジュリオも、本当は着替えなんて手伝ってもらう必要はないのだ。だけど、ジャンが何かにつけてジュリオの世話を焼きたがるから、ジュリオはそれに合わせて時折わざと甘えてやっているのだろう。普通に考えれば奇妙な関係だが、嬉しそうにジュリオの襟元を直しているジャンを見て、二人とも可愛いからいいか、と思うあたり俺の頭も大概まともじゃない。
「おっし!先出るぜ!今日も集まってそうだなー」
真っ先に楽屋の出口へ向かったイヴァンはネクタイを緩めてシャツの第二ボタンまで開け、腕まくりしてドアを開けた。上着は既に腕にかかっている。動きづらい衣装にしてしまって悪かったとは思うけれど、せめて最初の一曲くらいは我慢して着ていてほしいのだが。
しかし、言っても無駄だとわかっているので口には出さないでおいた。
それに今回、衣装はスーツでいこう、と言い出したのは俺ではない。
イヴァンの後を何やらぎゃあぎゃあとわめきながら追いかけるジャンと、さらにその後ろをおとなしくついて行くジュリオ。
それを横目で見送ったルキーノは煙草をアルミのアッシュトレイに押しつけて、ふっと笑って最後の紫煙を吐き出した。
備え付けのパイプ椅子の上でスラックスの長い足を組んだルキーノは今回の衣装の立案者だけあって嫌味なくらいにスーツがよく似合っている。この格好でギターを持つ所を想像すると、不覚にも背筋がゾクリとするくらいに。
「ガキどもは元気だな」
「あいつらはあれくらいでちょうど良いさ。ほら、俺達も行こう」
座っているルキーノの横を通り過ぎる際、肩に手を置いてそう言った。するとルキーノは俺が手を引く一瞬前に、素早く抜け目なく、俺の手を握ってきた。
おい、と声を上げるとルキーノは至極真剣な顔で立ち上がって俺の手を引き寄せる。熱い唇が指先に触れた。
ルキーノが囁く。
「今日
も魅
せてくれるんだろ?ミスターギタリスト?」
少し上から浴びせられる強い視線を受けて、俺は黙って笑った。ルキーノもまた、唇を俺の指に押し当てたままにやりと笑った。それから、行こうかと言って手を離した。
煙草の煙で白けた楽屋を出て、ルキーノの後ろを歩きながら、俺はたまらなく愉快な気分だった。胸の奥底から湧き上がるこの高揚感を何と表現すればいいのだろう。
お前もそうなのだろう、ルキーノ?
目の前の大きな背中に無言で語りかける。いつだって、裸でベッドインする時よりもずっと深く分かち合える昂ぶりを、同じ絶頂の瞬間を求めて、俺達はステージに上がる。
舞台袖では先に到着した三人が待っていて、イヴァンは俺とルキーノを見るなり、遅せーよバカ!と怒鳴った。だが、口調に反して顔は笑っていた。わくわくを隠しきれないといった感じで眼が輝いていたので、すまない、と言いながらも思わず吹き出してしまった。
「よっしゃ!それじゃ、円陣組むぞ!」
「イヴァン、お前それ好き
だなー」
「んもう、イヴァンちゃんてば。最初はダセえ!って嫌がってたくせに。いつのまにか気に入っちゃってぇ」
「子供、だな」
「うっせーぞジュリオ!良いんだよ!気合入んだから!ホラ!!」
乱暴に突き出されたイヴァンの腕は、露出した前腕にパワードラマーらしい上質な筋肉が奇麗についている。持ち主の性格そのままに豪快で素直な音を響かせるこの腕が全ての土台になる。
「誰も悪いとは言ってないぜ。それにこういうのは、俺も嫌いじゃない」
イヴァンの手の上にルキーノが自らの手を重ねる。
ツインギターの片割れである彼の旋律とパフォーマンスはうちの要だ。これほどロックにふさわしいギターを弾く男もそういない。見慣れたいつもの不遜な笑みが頼もしい。
「仕方ない、な」
そう言いながらも少し楽しそうな顔でジュリオがその上から白い手を乗せる。細くすらりと長い指は、彼の容貌と同じでただ美しいだけではない。正確無比なリズムを刻む、ベーシストの指。
ジュリオの手の
上に俺は左手を被せた。
「最高のライブにしよう。いつも通り、ね」
ミスタ―ギタリスト。光栄な呼び名だ。ギターが音楽の全てではないけれど、それでも他の何を失くしても、手にしたギターだけはいつまでも捨てられなかった。もういらないと手放せれば良いのに、と何度思った事だろう。
しかし、そのおかげで俺はまだ、醒めない夢の続きを見続けていられる。
開演時刻はまもなくだ。客電が落とされる。フロアのざわめきが大きくなった。
ジャンは一番上に手を重ねて、輪になった他のメンバーを見渡して、にやりと笑う。
金髪のヴォーカルは、見た目も実力も最高級だ。天使のように純粋で悪魔のように魅力的な歌声を持つジャンカルロ。俺の夢の体現。
「さあて、野郎ども」
とっておきの悪戯を発表するように、ジャンは言う。
「今日も集まった迷える子羊ちゃん達に、最高の天国……見せてやろうぜぇ!」
「「「「「Yes!C!R!Five!!」」」」」
さ
あ、俺達のショーの幕開けだ。
Next story
戻る