Painless Pain

「…っ…!」

熱い。
スプーンを握り締めたまま口元をおさえる。
今日の晩ご飯はビーフシチューだ。
毎朝出かける前に、今や家政夫ロボットになりつつあるアンドロイドが、今日は何が食べたいですか?と問うてくるのが日課であった。
何でもいいよ、が一番困ると思うので、
(というか一度何でもいいと言った所、家に帰るとフレンチフルコースが待っていたので)
今日は思い付くままにビーフシチューと言ってみた。

はいビーフシチューですね、

と返事するアンドロイドが、自分は食べれもしない夕飯のメニューをそれはもう嬉しそうに復唱するので、
ビーフシチューがこの世で一番のご馳走のような気にさせられる。

昨日のロールキャベツも、一昨日のミートドリアもそうだったなと思い出し笑いしながら、朝から晩ご飯を楽しみに家を出た。
そして帰ると、食欲をそそるデミグラスソースの香りと、おかえりなさいと笑う骸に迎えられた。
あまりに美味しそうだから忘れていた。
うん、出来立てのシチューってのは、当たり前だけど熱いんだよな。

「大丈夫ですか!?」

途端に向かいに座っていた骸が椅子を鳴らして立ち上がり、こちらに飛んで来る。
骸は、神経質なまでに俺の怪我に敏感だ。人の傷に対して何か強迫観念があるかの如くである。
アンドロイドは皆そうなのだろうか。
たしかに彼と比べれば人間は脆いのかもしれないが、人だってそう簡単に壊れやしないのに。
心配そうに伺う骸に、軽く手を振ってみせる。

「へーきへーき。ちょっとやけどしちゃっただけだから」

呂律がやや回らない。火傷、と深刻な声で骸が呟く。

「すみません。温度に注意していなくて…」

「いや、気をつけていなかった俺が悪いんだから」

申し訳なさそうな顔をする骸に苦笑して、指でそっと自らの舌に触れる。
ざらついた表面の粒子がいつもより荒くなっている。
口内火傷の特徴だ。
特に珍しくもない症状に思わず顔をしかめる。

「見せて下さい」

骸の手が頬に添えられて、口を開けたままの間抜けな状態で俺は上を向く。
舌の上を、ぬるりとした感触が撫でた。
ひりひりとした痛みに対して、それはひどく気持ちのいいもので。
いたわるように、包むように丁寧に傷をなぞる。
…それが骸の舌だと気付くのに数秒の時間を要した。
かあっと顔に血が上るのがわかった。
が、そんなことはお構いなしに、舌は執拗に俺を追いつめる。
もはや痛覚なんてわからなくなるくらい長い間舐め上げられて、それからようやく解放される。
離れる瞬間、僅かにお互いの唇が触れ合った。

「まだ、痛みますか?」

聞いて来る骸は先程と変わらず心配そうな表情だ。
対するこちらの顔は、真っ赤になっているに違いない。
だって、これじゃ治療というよりも。
まるで。
激しいキスだ。
火傷なんてとうにどうでもよくなっていた。
骸は知らないのかもしれない。
それを人は何と呼ぶのかを。

「痛い。…から、もう一度…」

僅かにかすめた唇が惜しいと思った。
だけど言ってから、ちょっと卑怯かな、と自嘲気味に目を伏せた。
骸は俺の名を呼んで、再びそっと頬に手を添える。
そして、さっきとは違い、今度はぴったりと唇を重ね合わせられる。
差し入れられた舌が口内をまさぐり、歯列を辿り、こちらの舌を絡めとる。
何度も角度を変えて食まれる唇に、意図せず身体が震える。
すると骸はくすり、と笑った。 知らないんじゃない。
むしろ確信犯だ。
名残惜しいと思ったのが悟られたのは恥ずかしかったが、
これ以上赤くなりようがないくらいに頬は紅潮しているだろうから問題ない。

骸が知っていた事に何故か安堵しながら、痺れるようなキスの感触に夢中で応える。


シチューはそろそろ食べ頃の温度になっているだろう。



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