雨音はショパンの調べ

だって、彼はとても寂しそうに見えたんだ。 今週から雨期に突入したとサテライトが告げた通り毎日降り止まない雨音を傘の上に聞きながら歩いていた。 いつもの帰り道は夜更けの雨に侵食されて生き物の気配は一切しない。 俺は誰にも聞き咎められないのをいい事に、雨音に合わせて小さく歌を口ずさむ。 …Rainy days never say goodbye… 古い歌だ。もう何世紀も前に作られたメロディーを、今となっては知る人は少ない。 それでも俺はこの歌が気に入っていて雨の日にはいつも歌う。 雨が人を切なくさせるのは昔も今も変わらない。 雨の染み込んだ靴で水溜まりに踏み入れながら家のごく近くのゴミ捨て場を通りかかった時、 廃棄された粗大ゴミの中から人の足が伸びているのを目にしてギョッとした。 人が倒れている、のか。近付いて見ると確かに人だった。 若い男だ。濡れたシャツが身体に張り付いて彼の細い肢体を浮かび上がらせている。 長い手足を力無く投げ出した姿はおよそ生きているとは思えなかったが、 気味が悪いとその場を立ち去るという選択肢はその時の俺の中にはなかった。 「君!…大丈夫かい?」 何とも間の抜けた呼び掛けだと思った。 死んでいるかもしれない相手に大丈夫はないだろう。 だが、どうやら生きているようだ。薄い唇が震えて言葉を紡ぎ出す。 「…放っておいて下さい」 答えた声は、小さくてもやけに明瞭に耳に響く不思議な音だった。 「そうはいかないよ。このままじゃ風邪を引いてしまう。 たかが風邪だって悪くすれば死ぬ事もあるんだよ」 「風邪なんて引きません。僕は生き物ではありませんから」 「…は?」 「アンドロイドなんです、僕」 技術の発展に伴いあらゆる場で機械化が進みアンドロイドと呼ばれる人工知能を積んだロボットが使用されている。 安価とは言えないまでも車よりは手頃な価格で一般家庭にも普及している。 中には人型をしたものも多くあった。 しかし、どんな最先端の技術をもってしても人と見間違えるような精巧なアンドロイドを造れるなんて話は聞いた事がない。 冗談か、さもなくば頭がおかしいのかと疑う俺を見上げてふ、と笑った。 その表情こそ人のものとしか思えない繊細さだったが、その時今まで閉じられていた彼の瞳を初めて見た。 一寸の狂いも無く左右対照に造られた細面に、左右で違う色の瞳が乗っている。 右にはガーネット、左にはサファイアを埋め込んだような瞳は生身の人間では決して持ち得ない。 瞳孔は人を模して黒く造られていたが、光を感知して膨張や収縮をすることはなくただ二色が闇に滲んでいるだけである。 彼を信じてもいいと直感が告げた。 「アンドロイドがこんな所で何をしてるんだい?」 「捨てられています」 「…どこか壊れているの?」 「どこも。要らないから捨てられました。 テレビでも冷蔵庫でも、要らなくなったら捨てるでしょう?…だから放っておいて下さい」 淡々と話す声には何の感情も込められていない。 機械なのだから当然なのかもしれない。 でも。悲しく聞こえるのは人間のエゴだろうか。 「わかった。じゃあ俺が拾おう」 「え…?」 「捨ててあるんだから、拾ったって問題ないだろう。今日から君は、俺のものだ」 驚いてこちらを見つめる顔が最初の印象よりずっと幼く見えて可愛い。 良い物を拾ったと微笑んでずぶ濡れの彼の上に傘を差し掛ける。 「立てるかい?悪いけどうちまで歩いてくれ。とても担げそうにはないからね」 立ち上がると彼は俺より軽く頭一つ分程は背が高くて、見上げる格好になる。 「わかりました。…傘は結構です、マスター。貴方まで濡れてしまいます」 浴室を出ると、リビングの真ん中に彼がぽつんと立っていた。 風呂に入る前に言いつけた通り、 濡れた服を脱いで代わりに身に着けた俺の服は彼には小さかったようで裾の丈が若干足りていない。 座っていればいいのにと思ってから、ただ待っていろとしか命じなかったなと思い至る。 「もっと楽にしていていい。これから君もここに住むのだから、自然にしていていいんだ」 「…はい、マスター。努力します」 努力、ね。 アンドロイドに自然にと言ってもどうすればいいかわからないかもしれないな。 一見人と同じ姿をしているからつい人間扱いしてしまうが、それは彼にとっては酷な事なのだろうか。 しかし彼は思いのほか何気ない動作でソファに腰を下ろした。 俺は自分の濡れた髪をタオルでかき回しながらその隣りに座る。 よく見ると確かに彼は生き物ではないのだと確信する点がいくつかある。 例えば、髪の色。彼の黒髪は完全な真っ黒ではなく光をかざすと青く透ける。 人の抱く幻想を具現化した故の人工の美しさ。 「マスター、僕はここで何をすればいいですか?」 しかし、機械とわかっていても彼を家電製品と同様に扱うのはやはり抵抗がある。 「そのマスターってのはナシだ。俺はジョット、そう呼んで」 「ジョット様…」 「様、もいらないよ」 「では、ジョット」 そう、良い子だ、と髪を撫でて誉めると少し嬉しそうに、照れたように笑った。 機械だなんだと気を使う必要はないようだ。 要するに同居人ができたと思えばいい。 「それで、君は?」 「名前、ですか?…骸。そう呼ばれていました」 「骸、ね。で、骸は一体何ができるんだい?」 「何でも」 家事全般できるという意味か。では明日から是非やってもらおう。 「じゃあ一番得意な事は?それをやってみせてよ」 「承知致しました」 自信ありげに骸が笑う。 あ、その表情カッコイイ、と思っているうちにいつの間にかソファに横たえられていた。 器用な長い指で一つずつ俺のシャツのボタンを外してゆく。 細かい動きもよどみなくこなす運動機能にただ感心する。 こんなに高性能なのにどうして捨てられたんだろう。 スウェットを脱がす動作も実に鮮やかだ。 …脱がすって…。 「ええっ!?ちょっと待って!!」 制止は既に遅く、骸の手によって性器を握り込まれたせいで背筋を痺れるような感覚が走り抜ける。 「…ぁ…ま、待て…って…!」 「こういった場面では嫌、待て、駄目の類いの言葉には従わなくても良いとプログラミングされています」 ぐにぐにと弄ばれ、あげくに舌で愛撫されて、段々硬くなっていくのを自覚して羞恥に頬が染まる。 「それとも、本当に嫌ですか?止めましょうか?」 「ゃ…あ…っ!」 …咥えたまま喋るな!彼が言葉を発する振動が伝わり無意識に身体が跳ねてしまう。 「いい…から、続けて…」 もう反応しきっている状態で止めろと言える自制心は残念ながら持ち合わせがない。 はい、ジョット、と返事をして骸は口に含んだそれに愛撫を再開する。 容赦のない舌の動きもさることながら、足の間に頭を埋める姿が視覚に刺激的で俺は恥ずかしげもなく高い声で喘ぐ。 男、しかもアンドロイドに口で犯されているという異様な状況にこんなに興奮するなんて、かなり変態だ。 瞬く間に追い詰められてあっけなく白濁した粘液を吐き出した。 荒い息を吐く俺に、骸はついさっき俺の欲望を飲み干した唇を舐めながら、いかがでした?なんて聞いてくる。 「…上手かったよ…」 「ありがとうございます。貴方も可愛かったですよ。…感じやすいんですね」 「……っ!これが君の特技…?」 「はい。元は女性用に造られましたが、男性にも対応しています」 性欲処理を目的として製造されたアンドロイドを通称セクサロイドと呼ぶ。 初期は高価な大人の玩具に過ぎない代物であったが、人工知能の搭載と、 この目の前にいる骸ほどではないにしろ人間により近いフォルムによって、 セクサロイドと疑似恋愛する持ち主も増え社会問題になりつつある。 単なる機械ではなく、恋人のように彼を扱った誰かがいたとしたら。 そうか、骸はいろんな意味で『捨てられた』のだな。 腕を上げて骸の方へ手を伸ばす。 「ジョット?」 伸ばされた手を取って骸が優しく名を呼ぶ。 ふいに抱き締めたくなったのだが、意図は伝わらなかったらしい。 「…さっきの続きも、できる?」 「お望みなら。試されますか?」 「また今度ね。今日は勘弁してくれ」 骸はクスクスと笑いながら先程脱がせた服をまた丁寧に着せてゆく。 伝わらなくていい。同情していると思われたくない。 いや、彼はきっとそんな事を考えもしないだろうが、俺の方がそう疑ってしまうのが嫌だった。 ボタンを全て留め終わるのを待って、俺は再び手を伸ばす。 「もう眠りたい。寝室まで運んでくれる?」 「はい、ジョット」 危なげなく抱え上げられる。 こちらは少々痩せ気味とはいえ曲がりなりにも成人男子、流石だ。バランスを取るふりをして骸の首に腕を回して抱き付く。 血の通わない肌は何故だか温かかった。 単純に彼に触れたかっただけなのだと気付いた。 寝室のベッドに俺を下ろし、明かりを消した後、骸が囁き声で伺いを立てる。 「お一人でお休みになりますか?それとも、傍にいましょうか?」 「…傍に。眠るまででいいから」 静かにベッドの傍らに腰を下ろす気配がする。 後はただ止まない雨の音が遠くで聞こえるばかりだ。 いつものあの歌が頭を巡ったので、静寂を壊さないように恐る恐る小さな声で旋律をなぞった。 「『I like Chopin』…古い歌ですね」 「知っているの!?」 暗闇で骸を見つめる。闇に慣れてきた目に彼がぼんやりと浮かび上がる。 「ええ、どこかで聞いたのでしょうね。覚えています」 「歌える?」 「おそらく。今まで一度も歌った事がないので自信はありませんが」 「歌は嫌い?」 「いいえ。ただ、歌えと命じられた事がありません」 その台詞には言葉以上の意味が含まれていたように感じたが、俺は気付かないふりをして笑いかけた。 「俺が命じるよ。歌って、骸」 そのうち好きになってくれればいいと思う。 歌う事も、人と過ごす全ての事も。 やがて電子の歌声が流れ出す。 雨音の伴奏に合わせて紡がれる旋律。 低く擽る音色が懐かしいのは、擦り切れた古いメロディーのせいか、それとも彼の優しく響く声のせいか。 瞼が重くなる。 心地良い睡魔に身を任せながらぼんやりと考える。 これからも雨が降る度にこの歌を口ずさむのだろう。 今度は二人で。 眠りに落ちる寸前、そういえば後にこの歌は異国の人がカヴァーソングとして歌っていたな、と思い出した。 夢の狭間で記憶を辿る。 タイトルは確か、 『雨音はショパンの調べ』 骸の声は雨音に似ていた。

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