不即不離‏‏‏

「僕は貴方の事、大っ嫌いです!」


笑顔の可愛さが最大の売りの瀬田宗次郎は珍しく眼尻を吊り上げて、真剣な表情でそう宣言した。
それを聞いて思わず失笑してしまったのは、遠い過去、同じ言葉を言った青年の事を思い出したからである。









「私は貴方なんて大嫌いです」

障子越しに滲み出た月明りに浮かぶ青白い顔の、その頬よりも一層血の気の引いた薄い唇が小さく動いてそう告げた。

「……なるほど、それは結構。しかしね、沖田君」

繋がった下半身を鋭く突き上げると、相手の喉元から空気の抜けるような声にならない悲鳴が上がった。
思惑通りの反応に浅く笑う。

「こんな状況下で言う台詞じゃないな」





斎藤が沖田といわゆる肉体関係を持つようになったのはつい最近の事である。
ある晩、ごく稀な事態であるが、隊の中でも若年にあたるこの二人だけで酒を呑む事になった。
そして酒が進むうちにふと、目元だけを朱に染めたこの美しい青年が欲しくなった。
だから、彼を無理やりその場で押し倒した。
部屋には双方の刀が置いてあったから、本気で抵抗されれば最悪斬り合いに発展する可能性もあったが、それでも構わなかった。殺し合うのもまた一興と思った。
おそらく、随分と酔っていたのだろう。
しかし沖田は抵抗しなかった。
なすがままに組み伏せられた格好で、普段から大きな瞳を更に見開いて、言葉を覚えたての子供のような口調で、どうして?と尋ねた。
誤魔化す気もなかったので、本音を告げた。

君が土方さんのものだから、欲しくなったのさ、と。

それを聞いた沖田は実に不思議な表情をした。いや、それは間違いなく笑顔だったのだが、天の月が欠けていくのを早送りで見ているかの如く、丸く見開いた目をすうっと細めてみせた沖田の笑顔は、平生の彼からとてつもなくかけ離れた代物だった。

いいですよ、と沖田は言った。

行為そのものは、まあ上手くいった方だろう。少なくとも斎藤にとっては。
しかし、沖田の方は今までに女も男も経験がなく、これがまったくの初めてだったようで、最中に彼は恥も外聞もなく散々泣いた。
だが終わってしまえば彼は別段照れる事なくけろっとした顔で、いかがでした?と感想まで求めてきた。
こちらが答える前に沖田は重ねてこうも言った。
私を手込めにしたところで土方さんは少しも傷つきやしませんよ。
彼らしい無邪気で残酷な物言いだった。
そこでやっと、先刻の不思議な笑みは、嘲笑であったのだと気付いた。
あんなにも美しく嗤う人間を初めて見た。
しかし、沖田は大きな勘違いをしている。斎藤は決して土方が気に喰わないので鼻を明かしてやろう、などという理由から彼を犯したわけではない。
黙っておいてやろうかとも考えた。わざわざこちらの手のうちを明かす必要もない。
だが、沖田の泣き腫らした赤い目蓋が可愛く、嗜虐心が煽られたので、真実を告げる事にした。

土方が憎いのではない。むしろその逆で、好いているからこそ彼の持ち物が欲しくなった、奪い取りたかったのではなく共有したかった。そのくらい、心底惚れている。

……今思えば滑稽な話である。ここに居合わせない男への告白を沖田は真顔で聞き、真剣に受け止めて、それから肩の力を抜いた。
そして、

「なぁんだ」

と呟いてほっとしたように微笑った。
そこで如何して安堵したのかはわからない。ただ、その笑顔はいつもの沖田のものに相違なかった。





あれから、もう何度か身体を重ねた。
それは意外にも沖田の方から求めてくる事が多かった。特に実動部隊の中でも精鋭揃いの一番隊が出動した夜には必ずといっていい程だった。
血を見ると昂ぶる気持はよくわかるが、沖田の場合はどうもそればかりが原因とも思われない。
今夜も副長直々に一番隊への出動命令が下っていたので、斎藤は屯所から動かず自室でおとなしく月を見ている事にした。ちなみに斎藤の三番隊は一番、二番に次いで出動の多い部隊ではあったが本日の要請は一番と十番隊であった。
案の定、夜更けに血の匂いをさせた彼は静かに斎藤の元を訪れたのである。





「何故?って、聞かないんですか?」

行為の後、沖田は両膝を抱えた体勢で座り、小さく咳き込みながら尋ねた。
情交の後、彼はいつも咳をしている。普段と違う呼吸器官の使い方をする所為だろうか。
沖田は最中、最初のように泣く事はなかったが、それでも素直に嬌声を上げる事には抵抗があるのか必死に我慢しているようであった。
声を押し殺した為にひゅうひゅうという呼吸音だけを発する喉元と、飲み込み切れずに時折漏れる掠れた鳴き声が痛々しくて、つい過剰に苛めてしまう。
勿論、咳の要因はそれだけではなく、彼の身体が病んでいるからだという事にも気付いてはいた。
しかしこの青年は心配されるのを酷く嫌がるので、表向きは素知らぬ風で沖田の雨に濡れたような深い闇色の瞳を見つめ返す。

沖田が、先程彼自身が言った、斎藤の事が嫌いだという事について話しているのだと思い至るのに数秒を要した。

「聞いてほしかったのか?」
「そういうわけでもないんですけど……」

言いながら沖田は襦袢の裾から覗いた両の素足の指先を擦り合わせるように動かしている。
夜は静寂に包まれていた。組長以下助勤の者は屯所の外に家を持つ事を許されていたから、組長達の部屋が割り当てられているこの棟は夜になると極端に人気が少なくなる。
局長である近藤すら屯所で寝泊まりする日はあまり多くない。反対に土方はいつも屯所で寝起きしているが副長室はずっと奥の方にあるので、ここで密かに行われている事など知る由もないだろう。
斎藤は傍までにじり寄って、沖田の華奢な足先を掌でそっと覆ってみる。
襦袢の白よりもずっと白い足は、その色にふさわしく氷のように冷たかった。

「では聞くがね、そんなに嫌いな男に何故君は抱かれたがるんだ?」
「だって、」

沖田は抱えた自らの両膝の上に顔を伏せた。
下ろした長い艶のある黒髪が肩から前へ滑り落ちる。さらさらという音が聞こえそうなくらいに美しい光景だ。

「だって貴方が、私の事を土方さんのものだって言うから」

くぐもった声で沖田は語る。

「土方さんを好きな貴方に抱かれる度に、その事を確かめられるんです」

それくらい、自分にとってあの人がすべてだ、と。
狡くて御免なさい、と彼は呟いた。
斎藤は、自分に謝っているのではないという事はわかっていたが、宥めるように髪を撫でて顔を上げさせる。

「生憎だが、沖田君。俺は君のそんな処が好きだよ」
「……強いですね、貴方は」

上げた顔は緩く微笑んでいた。

「やっぱり貴方は嫌いです」

はにかんだ笑顔は自分より一つ年下なだけとは思えない程幼いもので、彼の嫌いという言葉が額面通りではない事は明白であった。
沖田の、隊内最強の剣士の名にまったくふさわしくない薄く頼りない肩を掴んでそっと押し倒し、襦袢の裾を割って中に手を差し入れる。畳の上に月明かりを受けて淡く輝く黒髪が流れて広がり落ちた。



別に強いわけではない。
例えば、沖田の珠玉の手触りの黒髪は土方のお気に入りで、事あるごとに土方の手は沖田の柔らかい髪を触りたがる。なので、隙あらば土方は沖田の髪を撫でているのを知っている。本人は無意識なのかもしれないが、斎藤はそれを知っている。
つまりそのくらい、あの人を見ているのだ。
そして、無意識ですら沖田を溺愛している土方の事が好きなのである。
狡いのは皆同じだ。









目の前の青年は怒った顔をしている。
それに対して、悪い悪い、と言いながらもくつくつと笑い続ける斎藤に、瀬田は何が可笑しいんですかムカツクなあもう、と不満そうに呟いた。
それから、瀬田はごほんと咳払いを一つして、下から斎藤をびしりと指差して言った。

「とにかく!貴方なんかに四乃森さんは絶対に渡しませんからね!」

斎藤は堪らず爆笑した。瀬田が何やらまた怒りだしたが何処吹く風である。



笑いながら、瀬田のような単純さがあの頃の自分達にもあれば良かったのだろうと思った。


(明治二十年初夏)