メイドのお仕事4‏

4.暇をいただく



朝、目が覚めるといつもの通り目の前でベルが宙に浮かんでいた。
ベルは毎朝、主人である俺を起こすために寝室へふらふら飛んでくるわけだが、これがいつもの光景になっているというのがまず異常ではある。
そして今朝はさらに様子がおかしい。
ベッドに横になったままの俺の視界に映る位置で浮かぶベルは、なんだかいつもより色が薄かった。いや、色というよりもベルの身体自体が半透明になっていた。その身体越しに向こう側の景色が見える。

「何だ……?お前、それどうしたんだよ?」
「俺はもう消える。もともと長くは存在できない、そういうものなんだ」

淡々と言うベルの声もまたいつも通りだ。眼鏡に阻まれて顔の半分は見えないが、小さく微笑む口元はひどく寂しそうだった。小さいベルは少し首を傾けて、その姿に不釣り合いな大人びた口調で言った。

「お別れだ、ルキーノ」

ご主人様。いつもそう呼んでいたベルが初めて俺の名前を呼んだ。寝起きで事態をよく呑み込めていなかった俺はそれで初めて、ベルがいなくなるのだ、と確信した。

「最後に一つ教えてやろう。俺の玉子をお前に渡した人物、俺は見た事もないがきっと俺と良く似た彼は、こう言ったんじゃないか?お前の望むものが生まれてくる、と。それは間違いだよ。よくある勘違いなのだけれど、実際は逆が正解だ」
「逆?何の逆だ?いや、そんな事はどうでもいい。何とかならないのか?消えずにすむ方法はないのか?」

起き上がった俺が焦ってそう言ったが、ベルは静かに首を横に振るだけだった。根拠もなく偉そうで、すぐにきぃきぃ文句を言ってくる普段のこいつからは想像もつかないような殊勝な態度に俺は混乱して手をベルの方へ伸ばした。
ベルは何故だが苦笑して俺の手を避けた。ふわりと飛んで俺の鼻先まで近づいてくる。

「大丈夫、お前はもうその答えに気付いているだろう。だから、彼によろしく。

さよなら、ルキーノ。……好きだったよ」

ちゅっと音を立ててベルが俺の唇に口付けたと同時にぽんと聞き慣れた間抜けな音がしてベルの姿はかき消えていた。しゃぼん玉がはじけるよりもずっとあっけない。

俺はしばらくその場を動けずに、どうせキスするなら人間サイズになってからにしろよ、などと考えていた。










ベルは、ベルが俺の望んだ姿を映し出した存在ではないと言った。それには俺も薄々感づいてはいた。
ならば、逆とはどういう意味だろうか。「望んだ姿」の部分が逆という事はないだろう。それならさすがにああも小憎たらしく可愛い奴が生まれてくるはずもない。では、もう一つの部分、主体となる人間が違うということか。
俺ではなく、ベルナルドが望んだ姿、という事だろうか。

それもどこか違う、そんな気がした。




本部に着いて、手近な部下の一人にベルナルドの所在を尋ねるとすぐに執務室においでです、と明快な返事が返ってきた。どうやら今朝早くに戻ってきていたらしい。




「ベルナルドと話がある。悪いがちょっと外してくれ」

執務室に入って開口一番、俺がそう言うとベルナルドの部下達は何かの書類を片手に戸惑ったようにベルナルドの方へと視線をやった。ベルナルドがそれに首肯で応えるのを確認して、部下数名は手にした書類を持ったまま機敏な動作で部屋を出て行く。
ベルナルド直属の部下達は俺が言うのもなんだが皆良い男で有能揃いだ。それだけにこのいろんな意味で危なっかしい上司と四六時中一緒というのは多少心配なものがある。前途ある若者ばかりだが、彼らが道を踏み外さないとも限らない。つまり、いつしかこいつに惚れてしまわないかという事だ。

「何かあったのか。俺の無事の帰還を祝いに来たようじゃなさそうだな」

ちょっと疲れたような、それでもさっきまで部下と話していた時とは違う柔らかい微笑みをベルナルドは浮かべる。それだけで俺は簡単にちょっとした優越感に浸る事ができる。
要するに、俺の心配はベルナルドの部下にまで嫉妬しているせいなのだが。

何も言わない俺に、本当に何か深刻な事態が発生したのかと思ったのか、ベルナルドは笑みを顔から消して、俺の方へと近づいてくる。俺の名前を呼びながら。


ベルナルドという男は自嘲と自己嫌悪を趣味にしているような後ろ向きな奴である。そのくせ実は誰よりも自分自身を肯定できる何かを欲していて、何よりも恐れるのは自我の消失である、そんな人間だ。自己批判が得意なくせに、自分のアイデンティティに確固たるプライドを持っている、そんな面倒臭い男なのである。
そのベルナルドが違う自分を、例えばベルのような姿を望んだりはしないだろう。それならば、もう一度逆を行く必要がある。


答えは……、ああもう!なんて馬鹿で可愛い男だ、チクショウ!


「ルキーノ?」

再びベルナルドが呼ぶ。硬い声は、どちらかというと二人きりの時より、会議の時でよく耳にする仕事用の声だ。
怪訝な表情のベルナルドの腕を掴んで引き寄せる。正面から力一杯抱き締めると一瞬息を飲んだベルナルドがすぐに苦笑するのが伝わった。

「会いたかった」
「大げさだな。たかが一週間の出張だ、よくある事だろう?」
「それでも、だ。お前は?出張の間、俺に会いたくはならなかったのか?」
「……痛いよ、ルキーノ」

素直な返事を返さないので、抱き締める腕にさらに力を込める痛いってば、と言いながらも笑うベルナルドが今まで以上に可愛く思えて、俺もつられて笑った。



いつも素直で思った事をすぐ口に出すベル。年下の世間知らずで、いつも俺の傍にいて、家で俺の帰りをただ待っているベル。

俺がいないと生きていけないベル。

ベルナルドが、俺の望んでいる事を想像して、それを体現させた姿がベルだった。ややこしいがきっとそういう事なのだろう。
さすがはベルナルドだ、よくわかっている。たしかにちょっとぐらついた。アイツと過ごす騒がしい日々は割と楽しかったし、特に家に誰かがいて、「おかえりなさい」なんて言ってくれるなんて、俺の人生にはもう二度と起こり得ない事だと思っていたから。単純に嬉しかった。


でも、俺はやっぱりベルナルドが良い。


抱き締めた手は緩めずに腕の中のベルナルドの唇を半ば強引に奪う。
外にいる部下の存在を意識してか抗議めいた声を上げたが、それも一度だけの事、やがて俺の背中にベルナルドの両腕が回される。そういう仕草が魔性なんだよ、お前。



年上で上位幹部で、事あるごとに俺を年下扱いする割にはちょっと頼りなくて、仕事も過去もトラウマも山ほど抱えていて、俺のために存在するどころかどちらかと言うとカポのために人生捧げちゃっているようなヤツだが。おまけに俺達の関係がバレれば、お互い地位も名誉も命も跡形もなく吹っ飛ぶのだが。


それでも、ありのままのお前が良い。


それを俺に再認識させるためにベルナルドは俺に玉子を寄越したのか。だったら大した策略家だよ、見事に作戦は成功だからな。
まんまと引っ掛かった哀れな俺に、せめて今度メイド服くらい着てみせてくれよ。





ごめんな、ベル。俺も好きだったよ。でも、さよならだ。