メイドのお仕事1‏

1.コーヒーを淹れる



その生き物は丁寧に三つ指をついて、ヘッドドレスの乗った頭をちょこんと下げて言った。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

たしかに主人の帰宅に対するメイドの態度としては間違っちゃあいない。
ただしそれが食卓の上ではなく、さらにそのメイドが手のひらサイズでなきゃ、な。



その珍妙な生き物が俺の家にやってきてから早三日が過ぎた。
それは、俺が『ベル』と名付けたそいつは三頭身の頭でっかちな身体にお決まりのフリルのたくさんついたメイド服を着たそいつは、明らかにそいつの顔には大きすぎる眼鏡をかけている。眼鏡だけ縮尺があっていないが、ベルの姿は完全に俺がよく知っている人間のベルナルドをデフォルメしてさらに小さくした姿をしていた。
いや、完全に、は言い過ぎか。こんなずんぐりとした体型と同じなどと本物のベルナルドに言おうものなら、きっと無言で傷つくだろうなアイツ。

でかい眼鏡のレンズで顔の大半が隠れている割には、はっきりと不満げな様子が読み取れるベルの額を指先でちょんと弾く。

「おい、ご主人様のご帰宅だぞ。そんな仏頂面しているメイドがいるか。それとも、何か不服か?」
「……別に、これが普通の顔だ」

弾かれた頭をぐらぐらと揺らせていたベルはそう言ってぷい、とそっぽを向いた。拗ねているらしい。
その理由は察しが付く。おそらく俺がベルに、こいつの言うところの「仕事」とやらを与えないせいだろう。しかしそれに関してはこっちにだって言い分がある。

というのも、ベルはメイドの格好をしているくせに家事が一切、全く、何一つとしてまともにできないのだ。掃除も洗濯も、もちろん料理も。俺だって最初はやりたいと本人が言うのならばやらせておこう、くらいの気持ちはあった。だが大口を叩いたこのちび眼鏡の使い物にならない事といったら。
例えばライスを洗剤で洗う、くらいのレベルだ。

結局俺が今朝ベルに言い渡した命令は「家の事は何もするな」だった。
そもそも俺は大抵食事は外で取るし、うちの中の事は信頼できるベテランのハウスキーパーが週に三度通って片付けてくれる手筈になっているので、取り立ててベルがやるような仕事はないのだ。別に役に立たないという意味で言ったわけではない。実際役には立たないが。
だがそれですっかりこいつはむくれてしまったようだ。ほっぺたをぷうと空気で膨らませている。つっつきたくなる形だ。

「オラ、いつまでふくれっ面してるんだ。お前が一番得意な仕事もやらないつもりか?」
「……そうだな。わかった」

己の欲求には逆らわない主義の俺はこっち側に向けられているベルの左頬をつっつく。ぐいぐいと押されて迷惑そうな表情をしていたベルは、俺のその言葉に、はたと悟ったようにそう言って食卓から飛び降りる。

ぽん。

間抜けな音がしたと同時にベルはちびではなくなっていた。
短い間なら通常の人間サイズになれるらしいベルは、大きくなると正真正銘ベルナルドに瓜二つだった。違うところといえば、髪が肩につかないくらいの長さである事と、あとは年齢くらいか。ベルはどう見積もっても十代後半か、せいぜい二十歳過ぎにしか見えない。
ああ、もう一つ。メイド服だな。本物は間違ってもそんなものは着ないだろう。

背中で結ばれたエプロンのリボンが揺れながらキッチンの方へ消えるのを見送ってから、俺は上着を椅子の背もたれの上に投げ掛けて、リビングのソファにどかっと腰を下ろした。



待つ事数分後。

「どうぞ」
「ああ、まあ、座れよ」

差し出されたコーヒーを受け取って言うと、ベルは人間サイズのままロングスカートの裾を引きずって素直に俺の隣に座った。
ソーサーごと渡されたコーヒーカップからは湯気とともに上品な香りが立ち昇っていて、たしかに本人が得意だというだけあって非常に美味い。淹れ方にコツがあるのだろう、俺の家にある豆とサイフォンを使用しているのに自分で淹れるのとは段違いの味がする。
しかし、本当にこれしかできないとは思わなかった。

行儀良く黙ってソファに座っているベルは身を乗り出すような態勢でじっとこちらを見つめてくる。
本物よりも多少華奢に感じる若い姿のベルは、完全にベルナルドの面影があるだけに余計俺の目には新鮮に映った。それは今よりも線の細い頬の輪郭や、見慣れないメイド姿などではなく、むしろ短い髪のせいかもしれない。

俺が初めてベルナルドに会った時にはあいつの髪は既に肩より長かった。それからずっとベルナルドは髪型を変える事はなかったから、目の前のベルの足りない髪の長さの分がそのまま、俺の知り得ないベルナルドの時間に思えるのだろうか。

正直、短い方が似合っている気もするが、ベルナルドがもし髪を切ると言い出したら俺は断固反対する。やたらと男にモテるわりに無自覚なベルナルドに、無防備に耳やらうなじやらを晒させてたまるか。

そんな事を考えている間もずっと、ベルは俺を見つめ続けている。

「ん?……ああ、これか。美味いぜ、ありがとう」

何かを訴えるように黙っていたベルは、そこで初めて微笑った。

「当然だ。俺は優秀だからな」



あー…………。

コンチクショウ。可っ愛いなあ、コイツ。

口では偉そうな事を言っているのに、はにかんだ表情がアンバランスで、その発言も実は照れ隠しだろうってバレバレの笑い方。
ベルナルドも、ごくごくたまに浮かべる表情だ。
認めるのも癪だが、可愛い。もし狙ってやっているならとてつもなく優秀なメイドだ。ご主人様の好みをしっかり把握しているって事だからな。

背の低いリビングのテーブルにソーサーを置いて、ベルの細い肩に腕を回して抱き寄せる。ベルの身体が抵抗もなく俺の腕の中に収まった瞬間、


ぽすん。


数分前に聞いたのと同じ間の抜けた音とともに俺の腕は宙を掻いた。
下を見ると、ソファの今までベルが座っていたあたりには丸いフォルムの物体が転がっていた。ひっくり返った状態にもかかわらずベルは淡々とした声で、しかしきっぱりと告げた。

「時間切れだ」




……ほんっとに、都合の良いように出来てるよな、お前。