32.みくだり半(ルキベル)
風のない、静かな夜だった。
「もう、終わりにしよう」
俺が告げた言葉に、ベルナルドがゆっくりと振り向く。その顔には動揺など微塵も浮かんでおらず、その事に俺は苛立ちを隠せずに言葉を重ねる。
「別れようって言ってるんだ」
正面から俺と向き合ったベルナルドはやっぱり驚きもせずに小首を傾げて、ゆるく微笑んで、わかった、と言った。冷静な、美しい笑顔だった。
「理由も聞かないのか」
「どうして?」
その「どうして」が、俺が切り出した別れの理由を聞いているのか、それとも理由なんて聞く必要もないという意味なのか、わからなかった。ただその口調は穏やかで、微笑むベルナルドの乾いた唇と、隈の浮かんだ目元ですらひどく奇麗に見えて、耐えられなくなって俺は机を叩いた。
「……冗談だ」
「だろうね」
「気付いてたのか?」
「お前は演技が下手だな」
笑い出したベルナルドをじろりと睨んでみたが効果はない。もちろん、ベルナルドに
別れたくないと言わせたくてこんなタチの悪い冗談を仕掛けた俺の方が完全に分が悪いので、怒るわけにもいかないが。
「俺が本気だったら、どうしてた?」
「そうだな、捨てないでくれと泣き喚いて縋って、それでも駄目なら最後の手段だ」
「無理心中か?」
「いいや、脅迫さ」
「脅迫ぅ?ネタはなんだ?」
「……俺達が夜に逢う部屋は大体俺の隠れ家だろう?今日だってそうだ」
「ああ、まあ、そうだな。それが?」
「一晩中電気は消さない」
そう言ってベルナルドは両手の人差し指と親指をL字にしてフレームを作る。トリミングされた四角越しに俺を見つめて笑った。
「まさか、撮ってるとか言わんだろうな」
「お前は画面映えがするから良い。撮り甲斐があるよ」
「別れるならその写真をばら撒くってか?それじゃあお前も破滅だろう?」
「そうなったらそれこそ無理心中とでも思えばいいさ。でも実際にばら撒いたりはしないよ。バラされたくなければ、って脅すんだからね」
俺に対する謀
略を語るベルナルドの瞳はきらきらと輝いていた。本人を前にして悪事をそんなに楽しそうに話すなよ。
だが、自分達のポルノ写真を隠し撮りしているという話を聞いて気味悪く思うどころか、ベルナルドらしいとちょっと可愛く思えてしまう。恋は盲目ってやつだ。
「その写真、今寄越せよ。今晩のオカズにしてやる」
「本物が目の前にいるのに、写真の俺と浮気か?許し難いな」
きっと本当は、写真なんてどこにも存在しないのだろう。
そして俺が本当に別れを切り出したとしても、ベルナルドは決して泣いて縋ったりはしない。
今夜それが十分にわかったから、絶対に別れてなんかやらない、と決意も新たにベルナルドを抱き寄せた。